カタカナ
「ヒロシマ」
とカタカナで書かれた時、私はローマ字を意識する。
それは、世界で通じる言葉(地名)としての知名度があるということ。
「ナガサキ」も同じだ。
さて、最近、TV番組か何かで「フクシマ」とカタカナで書かれたタイトルがあった。
ツイッターで誰かがその番組についてつぶやいた時、
「カタカナで書くな!漢字で書け!」
と噛み付いた人がいた。
確かに、日本人が使う言葉としての地名は漢字だし、漢字で書くのが正しいと思う。
ただ、その人が誰彼かまわずに噛み付いているのを見ると、今、世界で「フクシマ」が原発事故で有名になっていることへの嫌悪感が強いようにも思えた。
世界で語られるカタカナの「フクシマ」には、原発事故への恐怖がついてまわっているからなのだろう。
私の中では、「ヒロシマ」「ナガサキ」と書かれるカタカナへの嫌悪感はない。
これから「フクシマ」と書かれることに関してどう感じていくことになるのか。
それは日本がどのように復興していくかにかかっているようにも思える。
私たち一人ひとりがどのように復興に協力し、進んでいくのかが大事だということだろう。
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